科学の調和と絶対価値の探求

 

日付:1976年11月27日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル
行事:第5回「科学の統一に関する国際会議」

 

 尊敬する議長、著名な科学者、そして教授、学者の皆様。きょう、このように第5回「科学の統一に関する国際会議」に参加された皆様を心より歓迎する次第です。特別にこの会議に引き続き参加してくださった皆様、誠にうれしく思います。

 皆様は、多年にわたって絶対的な価値の問題を討議してこられましたが、今年も「絶対価値の探求」というテーマのもとに、きょう再びここにお集まりになりました。

 人間と宇宙万象の存在の始原

 絶対的な価値を究明しようとすれば、人間と宇宙万象の存在の始原を明らかにしなければなりません。宇宙の始まりが「有」からか、「無」からかということが問題になりますが、皆様も御存じのように、自然科学も、社会科学も、哲学や宗教も、無の世界から真理を探求するのではなく、有の世界からある原因的存在を探し出し、そこから始まって生成された人間を含む森羅万象の存在と運行の原理を見つけだそうというものです。結局、存在の内容を明らかにし、存在物の間を関係づけることによって、すべての存在の理由と価値を探し立てようということなのです。

 物質形成に必要な最小単位を元素とすれば、それは有として規定されています。その元素形成の基本が無であるはずはなく、絶対に有から始まったという論理が成立するのです。現代科学は、物質の(元素としての性質を維持する)最小単位である原子までも、その根本となるある力によって存在すると見ていますが、その力もやはり有から生じたという結論に達するのです。極小から拡大した大宇宙であり、原因から出発した結果だという観点から考えるとき、私たち人間も原因的な存在ではなく、あくまでも結果的な存在なので、その原因的な存在が必ずあるということが分かります。無から有が発生したという一部の学者たちの非論理性を是正し、起源となる絶対有から小有、大有に生成、発展したという論理体系を立てるということは、すなわち、この上なく科学的な存在がまず存在し、それが万有の原因となり、その結果である小有から大有までを連結して有機的に作用するようになるということなのです。

 このような点から見て、従来の進化論は再検討されなければなりません。進化しようとすれば、作用しなければならず、作用しようとすれば、力によってのみ可能なのですが、それならば、作用しながら、より大きい力を生み出すことができるのでしょうか。作用では力を消耗するだけであって、より大きい存在をつくり出す力が生じるということは絶対的に不可能なことです。力は作用すれば消耗するのが原則なのですが、それが退化するのではなく、逆に進化することが可能なのか、そしてより価値ある、高次元的なものへと発展する方向性をもてるのか、ということが問題です。

 相応作用と相克作用による宇宙の発展

 一見進化のように見えますが、宇宙万物の段階的生成過程において、ド・フリースの言う突然変異という説明は決して成立しません。より価値のある発展的なものになろうとすれば、そこに第三の力が加えられずしては不可能なことです。今日、すべての動物が進化せず、人間で進化が停止したとすれば、結果的な存在である人間を生み出した第一原因的な存在の究極的目的が、明らかに人間だったということは否定できません。ここで私たちは、まず「第一原因的存在が先にあった」という論理を確立できるのです。

 次は、この宇宙の中で、存在が先か、力が先かが問題になります。いかなる存在も、何らかの力なしでは、生存し、作用することができません。各存在の個体内で作用する力と存在と存在の間の作用を可能にする力があります。それでは、このような力はいかにして生じるかということが問題です。

 力が生じるためには、それに先立って、何らかの主体と対象がなければ絶対に生じることができません。すなわち、主体と対象の関係が先有条件となって、力が生じるのです。例えば原子にも、主体である陽子と対象である電子があって、初めて作用するのです。力の作用は、主体と対象が一つになるための目的から始まるものなので、力が先か、主体と対象が先かと問う場合は、間違いなく主体と対象が先であって、力の作用は、主体と対象が一つになるための過程的現象なのです。

 この主体と対象との関係の差と軽重によって、力の作用がそれぞれ異なるので、様々な力が作用するたびに、その方向性と目的性が変わるようになっており、それによって多種多様な存在世界が形成されるのです。このように、いかなる主体と対象の間の力の作用にも、方向性と目的性を帯びて作用するようになっているのは、第一原因的存在の中で基本的な主体と対象が先に存在し、方向性と目的性を帯びて作用しているからなのです。

 個体内で主体と対象が完全に一つとなった存在は、他の存在と関係を結ぶために、主体的立場、あるいは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より大きな方向性と目的性を帯びた存在へと発展するのです。主体的存在と対象的存在が作用するところでは、常にある共同利益のためにやりとりしながらより大きな存在に発展するのです。

 この広大無辺な大宇宙は、主体と対象の共同目的体なので、それ自体を保護する宇宙力をもっており、同時に主体と対象が完全に一つとなった存在を保護し、育成します。その一方で、主体と対象が一つになれない存在や、一つになったものを侵害する存在があるときには、これを排斥する作用をするのです。ですから、存在の永続性が可能なのです。このように助ける力を相応作用といい、反対の力を相克作用と言うことができます。あるいは作用、反作用とも言うことができます。

 これは物質世界においても人間世界においても同じです。私たちの心と体が一つになっているときは、これを助ける宇宙力の保護を受けているので喜びを感じるようになりますが、心と体が一つにならないときは苦痛を感じて反発するようになります。病気によって受ける苦痛も同じです。体内で主体的な要素と相対的な要素が調和統一されない場合、宇宙的な保護力を喪失する一方、その反作用によって苦痛を感じるのですが、それが大きな病苦となるのです。このとき、早く主体と対象が調和統一する道を開いてあげるためのものが、医者の診断による投薬です。これは個人でも家庭でも同じです。

 一例を挙げれば、結婚前は、男性は男性同士、女性は女性同士で一緒にいることを好んでいたとしても、結婚後には、夫婦となった2人の間に誰かが介入してくることを喜ばないのも同じ道理です。結婚後の家庭は、主体と対象が完全一体化して、宇宙的保護力に力を与えられて、幸福と満足を感じるようになるのですが、そこに第二の女性や第二の男性が介入してくると夫婦が一つになる力が破壊される恐れがあるので、反発作用を起こすようになるのです。その反発作用というのは、必ずしも悪いというわけではなく、このような刺激によってその人もその夫婦のように、早く出ていって主体あるいは対象を迎え、一体を成し遂げることによって、宇宙力の保護を受けて永続するように促進する、そのような力になるのです。すなわち、完成を促進させる力になるのです。

 電気作用も、主体であるプラスと対象であるマイナスが一つになれば、円満に作用しますが、プラスとプラス、マイナスとマイナスの間では反発するようになっています。いかなる存在であれ、このように主体と対象を探し求めて関係を形成すれば、同じ法則によって安定と喜びを感じるようになるのです。

 すべての存在物は第一原因に似て繁殖する

 以上のような論理により、ある主体と対象が授受作用によって一つになれば、宇宙的な保護圏に入っていくようになるのです。私たちが見る宇宙の中のいかなる作用も、第一原因的存在に由来する結果的作用なので、その中心となる原因的作用体としての存在があるということは当然の理論です。子女が父母に似るように、結果は原因に似るので、万物を見てその原因的存在を究明することができるのです。

 すべての植物の種を見れば、その内部は相対的に二片になっていますが、それが完全一体となったまま一つの皮の中で胚子を通じて授受作用をすることによってのみ、生命を繁殖するのです。卵を見ても、黄身と白身の間に胚子があるのですが、一つの殻で包まれて一体になっているのです。人間の胎児も同じです。

 すべての生物は、主体と対象が授受作用によって一体化すれば、人間なら人間、植物なら植物は、その原因に似て繁殖し、結局根本に還元するのです。これらすべてが究極の第一原因に似ているとすれば、その第一原因的存在も主体と対象が完全に一体化した基本形態をもっており、すべての存在に対して主体格の立場にあるという結論になります。

 宇宙万物の段階的生成の目的

 それでは、宇宙万物のこのような段階的生成の目的は何でしょうか。人間という存在のために形成され始めたと見るのです。すなわち人間は、すべての存在世界の実であり、縮小体であると同時に、モデルと言えるので、鉱物と植物、動物のあらゆる要素をすべて合わせもっている最も高次元の存在なのです。

 しかし、人間もあくまでも結果的存在なので、ある第一原因的存在があり、それに似て生じたという結論が成立するのです。すなわち、人間を対象とする絶対主体的存在が必ずあるのですが、私たち人間が人格的存在であるならば、その主体も明らかに人格的存在に違いないのです。その第一原因的絶対者のことを、哲学では原存在と言い、宗教では神様と呼ぶのです。

 今日、進化論や唯物弁証法、認識論、唯心論、唯物論などにより、世界の思想界は矛盾と混乱に陥っているので、これを再検討し、絶対真理を樹立してこそ絶対的価値の世界の形成が可能です。絶対価値的な存在は永遠、不変、唯一の存在です。それでは、宇宙の中で、永遠、不変、絶対の原理とは何でしょうか。それは原因と結果、主体と対象の関係であるという結論になります。

 これを人間社会に適用すれば、親子関係と夫婦関係がその核心になるのですが、一つは縦的な主体と対象の関係であり、一つは横的な主体と対象の関係です。両者は次元の高い主体と対象の関係にありながら、縦的に合わさったものが新しい主体となり、横的に合わさったものが新しい対象となり、円満な授受作用を通して、渾然一体となって立体化し、調和した球形運動をするのです。それが愛を中心とした力の作用であり、人間社会の基本単位である理想的家庭のモデルです。そのような意味で、愛を最も価値的なものと認めざるを得ません。

 愛の究極的な根源は、私たち人間から始まったのではなく、絶対不変の原因的主体から始まったので、それを中心とした愛の家庭が、人間社会の理想を具現する基本単位となるのです。ここで初めて絶対価値の理想実現のための愛の家庭から、国家、世界へと拡大し、愛を完成した統一圏の世界、それこそ絶対価値の永遠の幸福が約束される理想世界が必ず訪れるのです。

 私は今回の大会が、今日直面する人類社会の諸般の問題を解決して、今後の進路を正し、「絶対価値の探求」という共同目標を達成するために、学問が調和、協力することによって、人類の平和と幸福と愛を成し遂げた理想世界を建設することに大いに貢献することを願いながら、お話しいたしました。ありがとうございました。