ダーウィンの進化論は、生命の多様性を説明する理論として近代科学の中核を担ってきました。しかしその影響は生物学にとどまらず、「世界に意味も目的もない」という世界観として思想・哲学・文化全体に浸透し、現代人の精神的空虚さの土台を形成してきました。
本シリーズ「聖書と進化論の限界Ⅱ」は、進化論的世界観が抱える根本的な問題を、言語存在論・情報理論・宇宙論・倫理学・人格論という多角的な視点から検証し、聖書のロゴス神学がいかにその問いに答え得るかを論じる全7回の連続記事です。
第1回では、ダーウィンとマルクスという近代思想の巨人が「偶然と闘争」という同一の哲学的前提を共有していたことを明らかにします。
第2回では、その思想的帰結としてニーチェの虚無主義が必然的に生まれた経緯を辿ります。
第3回ではDNAの情報構造を取り上げ、生命の本質が「物質」ではなく「意味を持つ言語」であることを情報理論の観点から論じます。
第4回では、現代宇宙論が明らかにした宇宙の微調整(fine-tuning)問題を扱い、宇宙の精密な設計がロゴスによる創造の痕跡であることを示します。
続く第5回では、倫理の起源という問いに迫ります。「善とは何か」「なぜ人間は善悪を感じるのか」という問いに、進化論は答えられません。ヒュームが指摘した「事実から規範は導けない」という哲学的原則を軸に、倫理の根源がロゴスにあることを解き明かします。
第6回では、意識・愛・良心という人格の構造を扱い、チャーマーズの「意識のハード・プロブレム」をはじめとする現代哲学の問いを参照しながら、人格の起源が人格的創造主の存在と深く整合することを論じます。
最終回となる第7回では、科学主義の自己矛盾を指摘しつつ、科学と啓示が対立ではなく補完関係にあることを示し、ロゴスに基づく新しい合理性の地平を提示します。
ヨハネ福音書の「初めに言(ロゴス)があった」という宣言は、単なる宗教的文言ではありません。世界が意味の秩序として成り立っており、人間がその意味を理解し、応答する存在として造られているという根源的な真理の宣言です。
本シリーズは、その真理を現代の知的状況の中で改めて問い直す試みです。

