私たちがよく知る「教会」の姿――司祭や牧師、礼拝堂、教会法、組織制度――は、どこまで聖書に由来し、どこまで歴史の産物なのでしょうか。
そして、長い歴史の中で形成された欧米型キリスト教は、聖書が本来語ろうとしている世界観を、どこまで正確に伝えてきたのでしょうか。
本シリーズ「聖書から見た欧米型キリスト教Ⅱ」は、こうした根本的な問いに向き合うための全6回の連続記事です。
第1回では、新約聖書が描く「関係と生活に根ざした共同体」としての教会と、4世紀のローマ帝国との結合以降に形成された制度教会との違いを検証します。
第2回では、宗教改革以来のプロテスタント神学が近代合理主義の影響を受け、聖書本来の象徴・霊性・歴史性を見失いやすくなってきた構造的問題を明らかにします。
第3回では、欧米型神学の限界を越えて、アジアの文化的特質――関係性、共同体性、身体性、歴史意識――が、聖書の深層構造と自然に共鳴する可能性を探ります。
第4回では、近年欧米で急速に高まっている日本文化への関心を手がかりに、信仰が生活の中で具体的に体現されることへの、現代社会の深いところにある渇望を読み解きます。
第5回では、共産主義体制下で制度を持たずに生き延びた中国の「家庭教会」が、初代教会の姿と驚くほど重なることを示し、信仰の本質が制度ではなく関係の中に宿ることを確認します。
そして第6回では、「神の国は実にあなたがたのただ中にある」(ルカ17章)というイエスの言葉を軸に、神の国とは個人の内面の問題ではなく、人と人との関係のただ中に現れる秩序であることを、複数の聖句を通して論じます。
欧米型キリスト教を越え、文化を越え、聖書そのものへ回帰する道を、アジアの視点から探る本シリーズをぜひご一読ください。

