誘惑とは何か。そしてそれに対して、人間はどのように向き合うことができるのか。
この問いは、信仰をもつ者にとってだけでなく、日常の選択の中で何を基準に生きるかを問われているすべての人にとって、きわめて切実なものです。
本シリーズ「聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅱ」は、前シリーズで明らかにした誘惑の構造論を受けて、今度はその「克服の道」を正面から論じます。取り上げるのは、マタイによる福音書4章に記されているイエスの荒野の試みの場面です。
イエスは40日の断食ののち、悪魔から三つの試みを受けられました。「石をパンに変えよ」「神殿から飛び降りよ」「ひれ伏して拝むなら世界をすべて与える」という三つです。一見すると、これらは食欲・安全・成功という人間のごく自然な欲求に訴えかけるものです。しかしその本質は、いずれも「何を基準として生きるのか」という根本的な問いへの誘いでした。
本シリーズが注目するのは、イエスがこれらの試みに対してどのように応じられたかです。イエスは誘惑と議論をせず、自分の意志の力で耐えようともされませんでした。ただ一つ、申命記のみ言を引いて「〜と書いてある」と語られました。この姿勢こそが、誘惑に対する勝利の原理を示しています。
第1回では、マタイ4章全体の構造と創世記3章との対応関係を概観し、勝利のモデルとしてのイエスの位置づけを明らかにします。第2回から第4回では、三つの試みをそれぞれ丁寧に読み解きます。
第5回では、三つの試みに共通する「み言によって立つ」という原理を総括します。さらに補講として、誘惑のタイミングが持つ意味と、誘惑が直接的な働きから間接的な働きへと形を変えていく「第2段階」についても論じます。
エバは神のみ言を自分で判断する対象としました。しかしイエスは、すべての判断をみ言に委ねられました。前者が「み言を判断すること」であるのに対して、後者は「み言によって判断すること」です。この違いが、誘惑を克服できるかどうかを決定するとシリーズは論じます。
誘惑は意志の強さで克服されるものではありません。それは、何を最終的な基準とするかによって結果が決まるものです。この視点は、信仰の場面だけでなく、現代の日常生活における選択や判断にもそのまま適用できるものです。
聖書に記された勝利のモデルを通して、誘惑に対する原理を学ぶ全7回のシリーズです。

