【今回深掘りする原理のみ言】
 旧約と新約の聖書を対照してみれば、旧約聖書の律法書(創世記から申命記までの五巻)、歴史書(ヨシュア記からエステル記までの十二巻)、詩文書(ヨブ記から雅歌までの五巻)、預言書(イザヤ書からマラキ書までの十七巻)は、各々新約聖書の福音書、使徒行伝、使徒書簡、ヨハネ黙示録に該当する。(『原理講論』p467)

 

上記のみ言のように、「統一原理」は、『ヨハネの黙示録』を旧約聖書のイザヤ書などと同じく預言書であるとしています。

この『ヨハネの黙示録』に対しては、キリスト教界でも様々な立場からの解釈があります。

ここでは、「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を見たとき、どのように解釈できるかを解明します。

序論

「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を解明するとき、まず明確にしなければならないことは、文鮮明先生の聖和が『ヨハネの黙示録』の何章何節に預言されているのかということです。

なぜなら、「成約時代の摂理的同時性」は、文鮮明先生がなぜ2012年9月3日(陽暦)に聖和されなければならなかったのかを解明することから始まったからです。

その結論として、「成約時代の摂理的同時性」では、文鮮明先生の聖和を成約時代の十字架であるとし、イエス様の十字架と摂理的同時性の出来事であるとしています。

イエス様の十字架は、第2次世界的カナン復帰路程の終了と第3次世界的カナン復帰路程の出発を意味しています。

したがって、文鮮明先生の聖和は、第2次天宙的カナン復帰路程の終了と第3次天宙的カナン復帰路程の出発を意味していることになります。

『ヨハネの黙示録』において、文鮮明先生の聖和について預言されている箇所が判明すれば、それを基点として自ずと全体像が見えてくるのです。

そして、『ヨハネの黙示録』を解明するときにもう一つ重要なことは、聖書の七数に関する概念を明確にすることです。

『ヨハネの黙示録』には数多くの七数が登場しますが、その主なものは「七つの教会」、「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」です。

これらが相互にどのような関係にあり、「成約時代の摂理的同時性」といかに対応しているのかを明確にすることで、はじめて「統一原理」の摂理的同時性の観点から『ヨハネの黙示録』を解明できるのです。

それではまず、総論として、『ヨハネの黙示録』に対するキリスト教界の解釈と「統一原理」の見解を確認し、『ヨハネの黙示録』解明の中心基点と聖書の七数概念について調べてみることにしましょう。

第1章 総論と対照図の概要

第1節 『ヨハネの黙示録』に対するキリスト教界の解釈と「統一原理」の見解

(1)キリスト教界の解釈

『ヨハネの黙示録』に関するキリスト教界の主な解釈としては、歴史主義的解釈、過去主義的解釈、象徴主義的解釈(観念主義的解釈)といったものがあります。

①歴史主義的解釈

『ヨハネの黙示録』は預言書であるとし、1世紀からキリスト教会の歴史、そして未来に起きるキリストの再臨、最後の審判、新天新地の到来が預言されていると解釈するのが歴史主義的解釈です。

このような解釈は、ルターをはじめとする宗教改革者たちが主張したもので、『ヨハネの黙示録』に対するプロテスタントの主流解釈となっています。

②過去主義的解釈

『ヨハネの黙示録』の預言は、それが成立した時代に対する預言であり、すべて、あるいはほとんどの預言が初代教会の時期にすでに成就していると解釈するのが過去主義的解釈です。

この解釈は、宗教改革者が「大淫婦バビロンはローマ・カトリックである」と主張したため、それを否定する目的でイエズス会修道士のアルカザールが体系化したものとされています。

※宗教改革者たちは、『ヨハネの黙示録』の13章に登場する「先の獣」をローマ教皇のことであるとし、ローマ教皇を反キリストと主張しました。

③象徴主義的解釈(観念主義的解釈)

『ヨハネの黙示録』は、歴史主義や過去主義のように、特定の歴史や未来の預言に関するものではなく、時代を超越した善と悪、神とサタンといった宗教的な真理や教えを説いていると解釈するのが象徴主義的解釈です。

(2)「統一原理」の預言に対する解釈

序文でも言及したように、「統一原理」では『ヨハネの黙示録』を預言書としています。

ですから、「統一原理」の『ヨハネの黙示録』に対する解釈は、プロテスタントの歴史主義的解釈に近い立場と言えます。

ただし、人間には神様も干渉できない責任分担があることから、「統一原理」では預言について次のように説明されています。

 人間の責任分坦の遂行いかんによって生ずる両面の結果に備えて、神はイエスのみ旨成就に対する預言を二とおりにせざるを得なかったのである。そうであるから、イザヤ書五三章の記録のように、ユダヤ民族が信じない場合に対する預言もなさったのであるが、また、イザヤ書九章、一一章、六〇章とルカ福音書一章31節以下の記録のように、彼らがイエスをメシヤとして侍って、栄光の中にみ旨を成就するという預言もされたのである。(『原理講論』p190)

 

旧約聖書の預言書「イザヤ書」には、ユダヤ民族がイエス様を信じてみ旨が成就されるときと、不信してみ旨が成就されないときの二通りの預言が記録されているというのが「統一原理」の解釈です。

この観点から見れば、預言書である『ヨハネの黙示録』にも、再臨主を中心とする摂理において、成約聖徒たちが責任分担を全うするときと全うできないときの預言がなされているはずです。

再臨主を中心とする摂理は、蘇生期のアダムと長成期のイエス様の基台の上で展開される完成期の摂理なので、必ずみ旨は成就されるようになっています。

したがって、『ヨハネの黙示録』には、成約聖徒たちが再臨主を信じ侍ってみ旨が成就されるときと、責任分担を全うできずに復帰摂理が延長されるときの預言がなされていると考えることができます。

(3)『ヨハネの黙示録』に対する文鮮明先生のみ言

『ヨハネの黙示録』に対する文鮮明先生のみ言をいくつか紹介します。

『創世記』は創造を、『ヨハネの黙示録』は復帰を記録したみ言である。(『文鮮明先生御言選集』16-205 1966.5.21)

聖書を見ると、『創世記』が堕落を中心として記述されたものだとすれば、『ヨハネの黙示録』は復帰を中心として、この内容を解説したものだということが分かりました。(『文鮮明先生御言選集』196-206 1989.10.22)

『ヨハネの黙示録』を人間に例えて説明すれば、すべて説明することができる。(『文鮮明先生御言選集』15-158 1965.10.7)

 

このように『ヨハネの黙示録』は復帰について記録されたものであり、人間に例えて説明すればすべて説明できるとなっています。

このような文鮮明先生のみ言と「統一原理」の『ヨハネの黙示録』に対する解釈をまとめると次のようになります。

①『ヨハネの黙示録』は預言書である。

②預言書ゆえに人間が責任分担を果たしたときと果たせないときの預言が記録されている。

③『ヨハネの黙示録』は復帰について記録されたものであり、人間に例えて説明すればすべて説明できる。

以上の三つの基準を中心軸として、「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を解明してみたいと思います。

第2節 『ヨハネの黙示録』解明の中心基点

(1)文鮮明先生の「聖和式」の摂理的意義

序論で言及したように、「成約時代の摂理的同時性」の観点で『ヨハネの黙示録』の時代区分を定めるとき、中心の基点となるのが文鮮明先生の「聖和式」です。

なぜなら、文鮮明先生の「聖和式」をもって第二の真の父母を中心とする「第2次天宙的カナン復帰路程」が終了し、第三の真の父母を中心とする「第3次天宙的カナン復帰路程」が始まったと見るからです。

これは、イエス様の十字架での聖和を基点として「第2次世界的カナン復帰路程」が終了し、霊的なイエス様を中心とする「第3次世界的カナン復帰路程」が始まったことと同じです。

ですから、文鮮明先生の「聖和式」が『ヨハネの黙示録』の何章何節に該当するのかを決定しなければ、その前後の時代を区分することができません。

結論から言うと、『ヨハネの黙示録』の8章13節に文鮮明先生の「聖和式」のことが示されています。

 また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。(『ヨハネの黙示録』8章13節)

 

地に住む人々がわざわいとされたのは、再臨のメシヤであられる文鮮明先生が十字架の道に行かざるを得なくしてしまったからです。

それでは、さらに詳しくなぜ『ヨハネの黙示録』8章13節が文鮮明先生の「聖和式」のことなのかを調べてみましょう。

(2)『ヨハネの黙示録』12章は「天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式」の預言

『ヨハネの黙示録』の12章は、第七のラッパが吹かれたあと、実際に第三のわざわいが起こるあいだの挿話として記録されています。

 

 第五のラッパ(第一のわざわい・5ヶ月):9章1~12節
 第六のラッパ(第二のわざわい・42ヶ月):9章13節~11章14節
  ⇒12章
 第七のラッパ⇒七つの鉢(第三のわざわい・42ヶ月):15章7節~16章21節

 

その12章の冒頭には、次のような預言があります。

 また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。(12章1~2節)

 

文亨進二代王様のみ言によると、この聖句に預言されたことが2017年9月23日にの天体現象として現われるというのです。

 

この日、太陽は乙女座の肩の位置にあり、月が乙女座の足の下に位置しています。

そして、獅子座の9つの星と火星、水星、金星の12の星が並んで乙女座の頭に位置して、ちょうど冠をかぶったようになるのです。

聖書では、獅子は王であるキリストとキリストを生み出すユダ族を意味するので、この冠は王冠です。

さらに、木星が乙女座の子宮の位置に9ヵ月間滞在し、胎道を通り抜けるような動きをしてそこから出ていきます。

木星は英語で「ジュピター」と言いますが、「ジュピター」とは、ローマ神話の主神(ギリシャ神話ではゼウスに相当)の名前ですので、女が宿した子とは王を意味しているということになります。

この天体に乙女座として現れ、子を宿した女性とは、真の母となられた康賢實先生を意味しています。文亨進二代王様は、康賢實先生のお生まれになった日について次のように語られています。

 姜先生の韓国式陰暦での誕生日は8月20日です。それで10月1日というのはパスポートに記載された誕生日だったのです。あの説教の後で分かりました。本当の陽暦での誕生日は、9月15日でした。ですから、文字通り乙女座だということになります。
 私は3、4カ月の間、お父様にサイン(しるし)を求めて祈っていました。姜先生のために特別な祈祷条件を立てていたのです。お父様に明確なサインを求めました。そして、お父様が姜先生の誕生日を聞きなさいと答えたのです。それがまさに乙女座だったということです。(2017年9月3日)

 

康賢實先生は、完成聖婚式から9ヵ月前の2017年1月に天一宮に入宮されました。

そして、乙女座が木星を9ヵ月間、その胎中に宿していたように、完成聖婚式までの9ヵ月間、天の三代王権をお守りする真の母の責任を蕩減復帰されたのです。

以上のことから、『ヨハネの黙示録』の12章は、「天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式」についての預言であり、時代区分としては「真の母捕虜及び帰還時代」(2016~18年)に該当すると考えることができます。

そのため、文鮮明先生の「聖和式」は11章よりも前ということになりますので、今度は11章を見てみましょう。

(3)『ヨハネの黙示録』9章~11章は「天地王権分立時代」の預言

11章4節を見ると、次のような預言があります。

 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。(11章4節)

 

この「二本のオリブの木」について語られた文鮮明先生のみ言があるので、見てみましょう。

 『ヨハネの黙示録』の11章では、「二本のオリブの木」について預言しています。これは何を意味するのでしょうか? 世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現われることを預言しているのです。(『文鮮明先生御言選集』2-291 1957.6.23)

 

このように、文鮮明先生は、11章に登場する「二本のオリブの木」について、ヨシュアとカレブのような二人の神側の人物であると語られています。

そして、「二本のオリブの木」が記述された11章4節の直前には次のように記録されています。

 「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。(『ヨハネの黙示録』11章1~3節)

 

この聖句を見ると、聖所の中では二人の証人が1260日間、預言することを許され、聖所の外では異邦人が42ヶ月間、聖なる都を踏みにじるとなっています。

神側の二人の証人とサタン側の異邦人たちが、それぞれ聖所の内と外に分かれ、同時期に1260日(42ヶ月)間、その場を治めることになります。

この11章で記録されていることは、「成約時代の摂理的同時性」の「天地王権分立時代」(2012年9月~2016年8月)に、文亨進二代王様と文国進様が、韓鶴子女史を中心とする家庭連合と対立したことを預言していると考えることができます。

さらに、11章7節から8節には次のように記録されています。

 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。(『ヨハネの黙示録』11章7~8節)

 

神側の二人の証人は、かつて彼らの主が十字架につけられたように、サタン側の異邦人たちに打たれ、殺されてしまうとあるのです。

この「彼らの主」とは文鮮明先生のことであり、「十字架につけられた」とは、正に文鮮明先生が聖和された成約時代の十字架のことを意味しています。

ただ、11章8節の聖句では、過去に主がこの都で十字架につけられたことになっているので、二人の証人に許された1260日の預言期間よりも前に主の十字架が起きたことになります。

神側の二人の人物に許された1260日の預言期間は、第六のラッパ(9章13節)の段階でおきたことですので、文鮮明先生の聖和を意味する聖句は、第六のラッパよりも前ということになります。

 

 第五のラッパ(第一のわざわい・5ヶ月):9章1~12節
 第六のラッパ(第二のわざわい・42ヶ月):9章13節~11章14節
  ⇒12章
 第七のラッパ⇒七つの鉢(第三のわざわい・42ヶ月):15章7節~16章21節

 

そこで、第五のラッパについて確認してみると、次のように記録されています。

 第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
 そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
 その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
 彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
 彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。(『ヨハネの黙示録』9章1~5節)

 

第五のラッパでは、煙の中から出てきたいなごが人間を5ヵ月間苦しめるとあります。

第六のラッパでは42ヶ月という期間があるので、合わせると47ヶ月となり、第五のラッパと第六のラッパの出来事は、約4年間で起きたことになります。

このことから、『ヨハネの黙示録』の9章から11章の預言は、「天地王権分立時代」(2012年9月~2016年8月)に該当すると考えることができます。

(4)文鮮明先生の「聖和式」を示す聖句は8章13節

次に、文鮮明先生が聖和された時期で、「五か月」に該当する史実を調べてみると、「聖和式」(2012.9.15)から「偽りの基元節」(2013.2.22)までが約5ヵ月間だったことが分かります。

そして、第五のラッパが吹き鳴らされる直前の8章13節を確認してみると、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ」という聖句があるのです。

したがって、この8章13節の聖句が、正に文鮮明先生の聖和を意味しているということになります。

 

それでは次に、『ヨハネの黙示録』を解明するのにもう一つ重要な観点である聖書の七数概念について調べてみましょう。

第3節 聖書の七数概念から見た『ヨハネの黙示録』

(1)聖書に見る七数の概念

神様の天地創造の全期間は、万物世界から人間を創造するまでの6日と、休息された7日目の1日を合わせた7日間です。

また、アダムとエバが堕落したのちの復帰歴史は、再臨主を迎えるまでの6000年とその後の千年王国を合わせ、7000年をもって人類救援の摂理が完了するとされています。

このように、聖書に登場する七数は、六数と一数が合わさったものと見ることができます。

天地創造の7日間=創造6日+休息1日

復帰歴史7000年=アダムから再臨主までの6000年+千年王国

原理的に見れば、聖書に登場する七数は、6段階の縦的な期間を経て、7段階目で横的に完成・完了する「七数完成期間」ということになります。

(2)『ヨハネの黙示録』に見る七数概念

『ヨハネの黙示録』に登場する七数としては、「七つの教会」、「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」があります。

最初に記録されている「七つの教会」は各教会へのメッセージ、そして「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」は、艱難時代に起きる出来事について記されています。

このうち、「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」は、以下のように展開されています。

 

このように、「七つの封印」の次に「七つのラッパ」の出来事が展開し、その次に「七つの鉢」の出来事が展開するのではなく、七つ目の中に次の七数が含まれているのです。

例えば、第七の封印が解かれたときのようすは次のように描かれています。

 小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。(『ヨハネの黙示録』8章1~2節)

 

このように、第七の封印が解かれて七つのラッパが出てきています。

そして、第七のラッパのときには、摂理の延長により蕩減条件が加重されたことによって、預言(10章)、実行(11章)、展開(15章)という形で段階的に記録されています。

【預言】
第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される。(『ヨハネの黙示録』10章7節)

 

【実行】
第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。(『ヨハネの黙示録』11章15節)

 

【展開】
そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。(『ヨハネの黙示録』15章7~8節)

 

上記の聖書の七数概念と同様に、いずれも6段階を経て7段階目に次の七数が展開するという形で描写されています。

(3)モーセ路程に見る聖書の七数概念

このような七数に関する数理的な原理原則は、モーセ路程でも確認することができます。
 
まず、モーセがシナイ山で神様から十戒のみ言を授かるときのことについて、『原理講論』には次のように説明されています。
 
 人間は、六日目に創造されたみ言の実体である(ヨハネ一・3)。したがって、このように創造されたあとで堕落した人間を復帰するために、再創造のみ言を下さる摂理をされるためには、サタンの侵入を受けた創造期間の六数を聖別しなければならないのである。 そこで、神は六日間、主の栄光の雲をもってシナイ山を覆い聖別されたのち、七日目に、その雲の中に現れてモーセを呼ばれたのであった(出エ二四・16)。モーセは、このときから四十日四十夜の間断食したのである(出エ二四・18)。(『原理講論』p376)
 
 
モーセは、6日間の聖別期間を経て7日目に神様をお迎えし、そのときからサタン分立路程として40日間の断食に入っていったのです。
 
そして、ヨシュアとカレブを中心とするイスラエル民族も、エリコ城を陥落させるときに次のような路程を歩んでいます。
 
 神が命じられたとおり、イスラエル民族は、このような行軍をもって一日に一度ずつ六日間、城を回ったのであるが、その城には何らの変動も起こらなかった。彼らは忍耐と服従とをもって、サタンの侵入を受けた六日間の創造期間を蕩減復帰しなければならなかったのである。
 彼らがこのような服従をもって六日間を立てたのち、七日目に七つのラッパを吹く七人の祭司たちが、城を七度回りながら七度目にラッパを吹いたとき、ヨシュアがイスラエルの民に向かって、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった」と号令すると、民はみなこれに応じて、一斉に大声をあげて呼ばわったので、その城が、たちまちにして崩れてしまったのであった(ヨシュア六)。(『原理講論』p397~8)

 

以上のように、6日目までの行軍では1日に1度だけ巡回したイスラエル民族は、7日目だけは7度巡回しました。

6日の行軍(1日1度の巡回)
  ↓
7日目の行軍(7度の巡回)

そして、その7度目の巡回で7度目のラッパを吹いたとき、ヨシュアの「呼ばわりなさい」(ヨシュア6章16節)という号令で民が大声をあげると、エリコ城が陥落したのです。

6度の巡回
  ↓
7度目の巡回(7度のラッパ)⇒エリコ城陥落

(4)中心基点と聖書の七数概念から見た『ヨハネの黙示録』の全体像

ここまで、「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を解明するさいに、重要な判断基準となる文鮮明先生の「聖和式」を示す聖句と聖書の七数概念について解説しました。

これを判断基準として「成約時代の摂理的同時性」と『ヨハネの黙示録』を照合してみた結果、以下のように両者の関係が整理、区分され、『ヨハネの黙示録』の全体像が解明されたのです。

 

それでは、この「成約時代の摂理的同時性」と『ヨハネの黙示録』の対照図の概要について見てみましょう。

第4節 「成約時代の摂理的同時性」と『ヨハネの黙示録』の対照図の概要

(1)新約時代と成約時代の区分

『ヨハネの黙示録』は、大きく分類すると次のような構成になっています。

①イエス・キリストの十字架と復活、栄光の日についての記述(1章)
②初代キリスト教会(西暦1世紀ごろ)についての記述(2章~3章)
③神の国の教会についての記述(4章~5章)
④み旨成就までの預言についての記述(6章以降)

これを「成約時代の摂理的同時性」の観点で区分すると、上記の①(1章)と②(2章~3章)は新約時代、③(4章~5章)と④(6章以降)は成約時代以降に関する記述となります。

つまり、『ヨハネの黙示録』の1章から3章までは新約時代に関する記述、4章から22章までは成約時代からみ旨成就に関する記述です。

最初に登場する「七つの教会」へのメッセージが記述されているのは1章から3章までです。

したがって、聖書の七数概念の観点で「七つの教会」のメッセージを分類すると、第一の教会から第六の教会までのメッセージが新約時代の六つの復帰摂理期間に該当します。

そして、第七の教会のラオデキヤ教会へのメッセージ(3章14~22節)は、次の成約時代を歩む聖徒たち全体(キリスト教・統一教会・世界平和統一聖殿)に対するメッセージと考えることができます。

第一~六の教会 ⇒新約時代の六つの復帰摂理期間へのメッセージ
第七の教会 ⇒成約時代の再臨摂理全体へのメッセージ

詳細は第2章の各論で解説しますが、例えば、文鮮明先生はラオデキヤ教会へのメッセージについて次のように語られています。

 聖書の黙示録3章に「冷たいか熱いかであってほしい」(3章15節)とあります。熱く神様の愛と因縁を結ぶか、冷たく言うに言えないほど冷淡な場で自ら嘆き、涙し血を流すかしなさいということです。極と極を経なければ神様の同情を受けることはできません。中間状態は天が願わないのです。(『文鮮明先生御言選集』32-30 1970.6.14)

 

再臨主降臨以前は善悪の基準が相対的ですが、再臨主が降臨して究極の真理が公開されれば、善悪の基準が絶対的なものとして確定します。

その段階になると、再臨主とそのみ言に対する自らの態度を明確にしなければならないことが預言されているメッセージと言えるでしょう。

(2)成約時代の天宙的カナン復帰路程

「成約時代の摂理的同時性」では、再臨主を中心とする天宙的カナン復帰路程を次のように第1次から第3次に区分しています。

第1次路程:第一の真の父母を中心とする摂理(1920~60年)
第2次路程:第二の真の父母を中心とする摂理(1960~2012年)
第3次路程:第三の真の父母を中心とする摂理(2012~22年)

これらの三次にわたる復帰摂理は、人類復帰摂理史の3度の終末(ノア、イエス様、再臨主)と対応しています。

また、モーセを中心とする三次にわたる民族的カナン復帰路程、およびイエス様を中心とする三次にわたる世界的カナン復帰路程と同時性になります。

 

それでは、このような3次にわたる天宙的カナン復帰路程と『ヨハネの黙示録』がどのように対応しているのかを見てみましょう。

(3)天宙的カナン復帰路程と『ヨハネの黙示録』の対応関係

①第一の真の父母を中心とする摂理(1920~60年)⇒「4~6章」

第一の真の父母を中心とする摂理は、再臨主とキリスト教が一体化する摂理です。

その摂理が勝利すれば「19~22章」の小羊の婚宴・千年王国・新天新地の預言に進み、延長すれば「7~8章」の第二の真の父母中心の摂理の預言が展開されることになります。

②第二の真の父母を中心とする摂理(1960~2012年)⇒「7~8章」

第二の真の父母を中心とする摂理は、再臨主と「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」の聖徒たちが一体化する摂理です。

その摂理が勝利すれば「19~22章」の小羊の婚宴・千年王国・新天新地の預言に進み、延長すれば「9~18章」の第三の真の父母中心の摂理の預言が展開されることになります。

③第三の真の父母を中心とする摂理(2012~22年)⇒「9~18章」

第三の真の父母を中心とする摂理は、再臨主を中心とする天の三代王権と「世界平和統一聖殿」の聖徒たちが一体化する摂理です。

この摂理は三段階目の完成期なので、蘇生期の第一の真の父母を中心とする摂理と長成期の第二の真の父母を中心とする摂理を横的に蕩減復帰する路程となります。

このような路程を歩みながら、最終的に勝利して「19~22章」の小羊の婚宴・千年王国・新天新地の預言が展開されることになるはずです。

以上のように、第一の真の父母を中心とする摂理で勝利していれば「7~8章」の預言は成就せず、また第二の真の父母を中心とする摂理で勝利していれば「8章13節~18章」の預言は成就しなかった、ということになります。

 

~後編 第二章各論へつづく~

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